いじめで人は死ぬ
おはようございます☀
お父ちゃんです!
みなさん、学生時代の
「席替え」とか「グループ決め」って覚えてますか?
私は先日、
『二人一組になってください』
という小説を読みました。
内容は「卒業式直前に行われるデスゲーム」で
それに勝ち残った生徒だけが卒業式に参加できる。
ルールはいくつかあるんだけど、
・二人一組になる
・誰とも組めなかったら失格
・一度組んだ人とは再び組むことはできない
・特定の生徒が余った場合、特定の生徒以外全員が失格
・最後まで残った二人、及び一人のものが卒業式に出席できる
中々面白そうな内容じゃないですか?
私もそう思い、手に取ったのですが…
でも、そこに書かれていたのは、
私たちの日常に潜む「いじめ」や「人間関係」のリアルでした。
これは小説なんかではなく、
世の中の縮図が描かれています。
▼ 見えない「カースト」の正体
学校にも、会社にも、
「見えないカースト」ってありますよね?
いわゆる
「一軍」「二軍」「三軍」
「陽キャ(明るいキャラ)」
「陰キャ(暗いキャラ)」
みたいなやつです。
これ、学校だけかなと考えるけど、
会社や社会でもバンバンありますよね。
このカーストって、
誰かが決めたわけじゃないのに、
勝手に出来上がっていきます。
だけどその基準は曖昧で、
☑️ 容姿がいい
☑️ 声が大きい
☑️ スポーツができる
☑️ SNSのフォロワーが多い
とかで決まっていません?
私も、昔はそんな事を考えていたな。
どこのグループに属するか。
でも、カーストが上だからって、
偉いわけではありません。
カーストの上の人は、偉いと思っているけど…
「容姿がいい」「目立つ」「フォロワーが多い」からといって、
人間的な価値が高いわけではありません。
よね?
でも、このカーストの下の方にいると、
理不尽な扱いや、いじめのターゲットにされやすくなります。
例えば、部活とかでもありませんでした?
野球とかサッカーはカーストが上で、
卓球とか文化系は下みたいな。
これって、学校だけの話ではなく、
大人の社会でも「派閥」とか「忖度」という名前で、
同じことが起きていませんか?
いや!これ政治の世界でもありますやん😱
▼ 「二人一組になってください」の恐怖
小説の中でハッとさせられたのが、
「悪意のないいじめ」の話です。
先生が何気なく言う
👨🏫「はーい、じゃあ二人一組になって〜」
という言葉。
特定の生徒が余ってしまう。
あぶれてしまう。
先生にいじめるつもりはなくても、
結果として、特定の生徒は
「選ばれなかった」
という強烈な孤独を味わうことになります。
私はこれを読んで、自分の胸に手を当てました。
👨「自分は直接手を下していないから大丈夫」
そう思っていたけれど、
誰かがあぶれているのを
「見て見ぬふり」していなかっただろうか?
いじめられている現場を見て、
「自分じゃなくてよかった」
と目を逸らしていなかっただろうか?
強い側に付いて、
自分がいじめられる側にならないようにしていなかっただろうか?
厳しいことを言うようですが、
「見て見ぬふり」もいじめへの「加担」です。
いじめによる孤独は、人を絶望の底に突き落とします。
大小に関わらず、いじめで人は命を落とします。
いじめの最中、一番辛いのは、
「友達だと思っていた人に無視されること」
だそうです。
これはもう、心が死んでしまいますよね😭
▼ たった一つの「希望」
じゃあ、どうすればいいのか。
小説は、絶望の中に「光」も描いていました。
人は、どんなに絶望的な状況でも、
「たった一つの希望」
があれば生きていける。
その希望とは、
「一人の友達」「たった一人の味方」
です。
ここでいう「本当の友達」とは、
ただ一緒に遊ぶ人のことではありません。
周りの目や、カーストなんて関係なく、
自分が辛い時に
「大丈夫?」
と声をかけてくれる人。
みんなが無視していても、
その人だけは味方でいてくれる。
そういう人が「一人でも」いれば、
人は命を手放さずに踏みとどまれるんです。
「空気を読む」ことが良しとされる日本で、
これをするのは勇気がいります。
小説でも、いじめを止めた生徒が
次にいじめの対象とされました。
その生徒の親友が次にいじめられた時、
その生徒は「ここで止めたらまた自分が…」
と思って止められませんでした。
だけど、この生徒の気持ちもわかりますよね。
大人になった今ならわかるのですが、
学生時代って学校がすべての世界だから、
そこでいじめられたりすると、
もう本当に終わったって感じになりますよね。
▼ 私たちが今日からできること
この本を読んで、
私はお父ちゃんとして、一人の人間として、
改めてこう決意しました。
「見た目や属性で人を判断しない」
人には合う合わないがあります。
それは仕方ない。
でも、
「あいつは陰キャだから」
「あの人は地味だから」
「あの人は一軍だから」
と決めつけずに、
まずは「きちんと話す」こと。
そんなことをしているつもりはないけど、
無意識にしているかもしれない!
そして、もし私の周りで、
「二人一組」のような状況であぶれているような人がいたら
周りの目なんて気にせずに、
「一緒にやろう」
と声をかけられる人間でありたい。
それが、私が誰かにとっての「たった一つの希望」になれる、
唯一の方法だと思うからです。
自分自身で手を下していなくても、
「見て見ぬふり」をしてきた過去が、
私にもあるかもしれません。
だからこそ、これからは
「平等に接する」
という当たり前のことを、
丁寧にやっていきたいなと思います。
▼というわけで
暴力を振るうことは、もちろんいけません。
直接手を出さなくても、
言葉や態度も立派な暴力だし、
それもいじめになります。
今の時代、LINEグループとかSNSで
余計に見えづらくなっています。
その人に直接”何か”をしなくても、
見えない所(例えばLINEグループ、SNS)で
特定の人をグループに入れない・その中で変なあだ名や悪口を言うのも
立派ないじめです
当事者は、いじめの意識はなくても、立派ないじめ。
そして、無意識の態度とか雰囲気って
悪意がないから余計にややこしいなと。
『いじめで、人は死ぬ』
「そんなことで…」
と思うかもしれませんが、
いじめの辛さは、いじめられる側にしかわかりません。
私自身も、今後気をつけないといけないことだし、
子どもたちにもしっかりと教えていきたいなと。
もし、いじめられる側になった時は、
ちゃんと助けられるようにしたいです。
みなさんの周りにも、
もし寂しそうな人がいたら、
勇気を出して声を掛けてみませんか?
「おはよう」「一緒に組もう」
と言ってみませんか?
その一言が誰かを救うことになるかもしれません!
今日もありがとうございました🙇♂
また明日!
お父ちゃんでした👋


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