おはようございます☀
お父ちゃんです!
“人は二度死ぬ
一度目は、肉体が滅びた時
二度目は、みんなに忘れ去られた時
本当の死は、二度目だ”
なんてよく聞きますよね。
では
「私達はいつ老いるのか?」
今日のテーマはこちらです!
年齢を重ねれば自動的におじさん、
おばさんになる・・・
わけではないんです。
もっと言えば、見た目の問題でもないんです🙅
▼人が老いる時
私が考える”老い”に
年齢なんて関係ありません。
10代でも『好奇心』を失えば老人です。
60歳でも新しい刺激を求め続けるなら若者なんです。
新しい刺激に身を晒せなくなれば、
自分を変革し続ける柔軟性も失ってしまいます。
『好奇心』と『フレキシビリティ(柔軟性)』
がなくなれば、どんなに若くてもおじさん。
子どもを見ていればわかりますが、
色んなこと・モノに興味がありますよね。
うちの息子もアレヤコレヤに興味が湧いて、
あっちこっちに行き、色んなものをペタペタ触りまくっています😅
だけど、年齢を重ねると、出かけるのも億劫になり、
新しいことへの興味も薄れていきます。
▼若さの正体は「面白がる力」
好奇心いっぱいに、
面白い人たちと面白い時間を過ごす。
その結果、偶然のようにアイデアが生まれます。
それが多様な仕事にも、遊びにもつながっていきます。
若くても、好奇心を失えばおじさんだし、
自分を変革し続けなくなったらおじさんだし、
柔軟さを失えばおじさん
となります。
つまり、老いというのは、年齢的なものではなく、
心の姿勢なんです。
▼大人が子どもの好奇心を殺している
実は、大人が子どもに対して、
好奇心をなくすように仕向けていることがあります。
👨「余計なことしないで」
👨「いらんことしてんと…」
私も色んなことに興味を持つ子どもに言ってしまいます。
先回りして、ケガしないようにしてしまう。
転ばぬ先の杖を、つい差し出してしまうんです💦
やっぱり子どもって、
転ぶし、失敗するし、ケガするものですよね。
でも、ケガしないとわからないこともあります。
命の危険がないのであればやらせないと、
って強い思います。
▼小さな失敗が人を育てる
小さな失敗や痛みを通じてこそ、
子どもは世界との距離感を学んでいきます。
☑️ 熱いものに触れて「熱い」を知る
☑️ 転んで「痛い」を知る
☑️ 失敗して「次はこうしよう」を学ぶ
こういう経験を全部取り上げてしまったら、どうなるでしょう?
その人の人生の責任を取るのは、自分自身です。
大人が思うような子(言うことを聞く子)になったとして、
その子の人生の責任を親は取れません。
▼自分に問いかける
そもそも!!
子どもの前に、自分自身が好奇心を保ち続けているか?
新しいことに挑戦しているか?
子どもの「やってみたい」を止めていないか?
自分は老いていないか?
大人自身が好奇心を保ち続けることと、
子どもの好奇心を守ること。
この二つは表裏一体なんだと思います。
親が「余計なことすんな」と言いながら、
自分も新しいことに挑戦しない。
そんな姿を見せていたら、子どもだって挑戦しなくなります。
▼面白がり続ける生き方
新しい人と出会う。
新しい場に行く。
面白い人たちと面白い時間を過ごす。
新しい本を読む。
映画を観る。
子どもと一緒に新しい体験をする。
そうやって、何歳になっても「若者」でいたいんですね。
年齢を重ねる。
これは皆平等です。
一年に一つ必ず年を重ねます。
これは避けられません。
でも、心が老いることは避けられるのではないでしょうか?
好奇心を持ち続ける。
新しいことに挑戦し続ける。
柔軟に変化を受け入れる。
これが「若さ」の正体だと、私は思います。
▼というわけで
「私達はいつ老いるのか?」
答えは、
・好奇心を失った瞬間
・柔軟さを失った瞬間
です。
だから、今日も新しいことに興味を持ち続けましょう。
子どもの「やってみたい」を応援しましょう。
そして、自分自身も挑戦し続けましょう。
何歳になっても、心は若くいられます。
で、挑戦している人って、見た目も若い!
心が若くなれば、見た目も若くなる✊️
最近何か新しいことを始めましたか?
今日もありがとうございました🙇♂
また明日!
お父ちゃんでした👋


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