「大変」「面倒」だからこそ楽しい

「大変」「面倒」だからこそ楽しい 人生論

おはようございます☀
お父ちゃんです!

先日、息子の幼稚園のお友達家族と海水浴に行ってきました🌊
子供たちの楽しそうな笑顔、大人たちも心から楽しめた一日でした。

私たち夫婦の中にはいつもこんな葛藤があります。

「大変やん」
「後片付けが…」
「今年はまだいっか」

▼大人になると増える「二の足」

年齢を重ねるにつれて、
どうしても先々のことを考えてしまいませんか?

我が家は3人の子供がいて、下の子は双子。
正直、どこかに出かけるとなると
「大変」「面倒」
という思いが先に立ってしまいます。

「まだ早いんじゃない?」
「行ったら大変だぞ」
「後片付けが面倒だな」
「双子ベビーカー持って?!」

まだ起こってもいない未来を想像して、二の足を踏んでしまう。
これは私たち夫婦に限った話ではないのかもしれません。

▼それでも飛び込んでみた結果

先日の万博もそうでした。

3人の子供を連れて、この炎天下での万博なんて、
想像しただけで大変なのは分かっていました。

でも、万博は今しかやっていない。
あまり乗り気じゃなかった妻を誘って、思い切って行ってみました!

案の定、暑くて大変でした💦

でも子供たちは楽しんだようで…

👦👧👧「また行きたい」
と言ってくれました!

そして今回の海も同じ。
砂だらけになった服の洗濯
海水でベタベタになった後片付け…

考えただけで面倒です😫
それでも飛び込んでみました。

その先に待っていたのは、
今しかできない思い出と、子供たちの最高の表情でした。

最高の笑顔

あの顔を見せられたら
「行こう」
「行って良かった」
と思えますね😆

▼「今」が一番熱い時

先日パレスチナ問題について書きましたが、
私たちは平和ボケしているのかもしれません🕊️

「また今度でいいか」
「子供たちがもうちょっと大きくなってから」
「来年でもいいか」

これを思うってことは、
「今度・来年・子どもが大きくなった時が来る」
という前提があるからではないでしょうか?

もちろん、その日が問題なく来るに越したことはありません。

そして、もう一つ。
その「熱」は、今考えている時が一番高いのではないでしょうか。
思いついた時、やりたいと思った時が、一番のやり時だと思います。

私達はそれが日常過ぎて、
明日、来月、来年は来るのが当たり前だと思いすぎています。

でも、来年同じように「やりたい」と思うかどうかは分からないし、
気持ちは変わるものです。

▼夏休みは10年しかない現実

大変さや面倒くささが理由でやらないのなら、
思い切ってやってみる価値があると思います。

私はそう思っています。
(それでも面倒・大変という気持ちはあるけど…)

今年の夏、我が家はすでに
川に3回、海に1回、万博にも行き、
夏を大満喫しています。

今年の夏はもう二度と戻ってきません。

そして、以前もお話ししましたが、
子供たちと過ごせる夏休みは約10年程度です。

我が家は、息子が6歳なので、残り4回…
考えたらあっという間ですよね!!

▼一歩踏み出した先にあるもの

先の大変さを想像してしまうのは分かります。
でも、一歩踏み出してみると

– 子供たちの最高の表情に出会える
– 新たな発見がある
– 家族の絆が深まる
– かけがえのない思い出ができる

そして、もし「やっぱり大変だった、もう無理」となったら、
それはそれで新しい発見ではないでしょうか。

自分たちの限界を知ることも大切な学びです。

▼持続する喜びと一時的な快楽の違い

一時的な快楽を求めると、
その時だけの満足で終わってしまいます。

でも、面倒や苦労の先にある楽しみは違います。
それは心に深く刻まれ、思い出として長く残る、持続的な喜びになります。

「あの時、大変だったけど…」
って振り返れますよね!
そういうことの方が記憶に残ります🧠

これからもきっと、同じような葛藤があるでしょう。

「大変そう」「面倒そう」という気持ちと
「やってみたい」という気持ちの間で揺れ動くことがあるはず。

でも、できるだけ飛び込んでいこうと思います!

楽しさや喜びは、苦労や面倒の先にこそあるのかもしれません。

そして、その先にある宝物は、
一歩踏み出した人だけが手に入れることが出来ます✊

皆さんも、「面倒だから」「大変そうだから」と
二の足を踏んでいることはありませんか?

もしかしたら、その一歩先に、素晴らしい何かが待っているかもしれません。

”思考をどうずらすか”
かなと…🤔

今日もありがとうございました🙇‍♂
また明日!
お父ちゃんでした👋

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