私はスマートウォッチに操られている

私はスマートウォッチに操られている 人生論

おはようございます☀  
お父ちゃんです!

昨日、健康管理の話をしたところですが…

私の愛用しているスマートウォッチのベルトが
突然千切れてしまいました😱

床に手をついてグッと体を持ち上げようとした、
そのほんの一瞬の出来事。

あまりにもあっけない幕切れでした😭

そして、その瞬間から私の
「不便でたまらない生活」が始まりました。

私たちは、当たり前のようにそこにあるものの本当の価値を、
失って初めて思い知ることがありますよね?

今回の件で、私はこのスマートウォッチが
いかに自分の生活に深く根付いていたかを痛感させられました⌚️

そう。
まさに操られているかのように…

▼スマートウォッチは、私の生活の司令塔だった

・朝の目覚まし
・HIIT(高強度インターバルトレーニング)のタイマー
・「朝活終了」のアラーム
・ウォーキングやランニングの計測と記録
・スマホの通知

生活のあらゆる場面で、私はスマートウォッチに頼りきっています。

少し大げさかもしれませんが、一日中身につけているので、
スクリーンタイムで言えばスマホよりも長かったかもしれません。

もはや、体の一部のような存在。

仕事中も、私はきっちりと時間を区切ってやっていくスタイルで、
次の予約までの残り時間を手元でサッと確認できないのが、
これほどまでに不便だとは思いませんでした😫

▼「時間に縛られている」は誤解です

こんな私は「時間の奴隷」でしょうか。

そうとも言います。
確かに、常に時間を意識している感覚はあります。

いや…
めちゃくちゃ意識してます。

よく
「どうやって時間を作っているのか」
と言われるのですが、時間をめちゃくちゃ意識しています。

一分一秒も無駄にしないように、意識して
そして、無駄にしないように過ごしています。

でも、これは誰かに強制された時間ではなく、
「自分で決めた時間」なんです。

時間がもっと欲しいは無理!なんです。

「時間がない」は錯覚で、多くの人は
余計なことをやり過ぎて時間がないだけなんですよね。

私にとっては少しも不自由ではないんです。

むしろ、自分で立てたスケジュール通りに物事が進んだ時の、あのスッキリとした気持ちよさ!
そんなことに快感を感じる、ド変態野郎です🫣

▼「依存」と「活用」の違い

「操られている」なんてタイトルをつけましたが、
実際はむしろ逆です。

スマートウォッチがあることで、
私は時間を主体的にコントロールできている。

決められた時間に決められた運動をして、
決められた時間に作業をする。

成果を上げるトップ層は「時間が有限である」ことを受け入れている
という考え方があるのですが、これに通じるものがあるのではないでしょうか🤔

便利なツールに頼ることで、自分の人生の主導権を握れるんです。

でも、それを失った時の心細さも痛いほど理解しました😅

▼技術に支えられる豊かな生活

今回の出来事を通して、便利なものにどれだけ自分が依存しているか、
そして、それがもたらしてくれていた快適さに、改めて気づかされました。

もちろん、スマートウォッチがなくても生活はできます。

でも、あることで確実に生活の質が向上するんです。

☑️ 運動の記録が自動で残る
☑️ 時間管理がスムーズになる  
☑️ 健康状態を客観的に把握できる

これらの恩恵を一度味わってしまうと、もう手放せません。

私がどれだけ時間を大事にしているのか、意識しているのかが
今回の件でよくわかりました。

と、同時に、もう少し余白があってもいいなとも思いました😅

ちなみに、新しいベルトは二本買いました。
同じミスはしないように…。

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本日のコメントテーマ
あなたの生活を支える相棒
です。

皆さんは、どんなガジェットや道具が生活に欠かせませんか?

私のように、失って初めて気づいた「当たり前の便利さ」があれば、ぜひ教えてください!

今日もありがとうございました🙇‍♂  
また明日!  
お父ちゃんでした👋 

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