おはようございます☀
お父ちゃんです!
今日は、ちょっと重いテーマかもしれませんが
とても大切なお話をさせていただきます。
先日、福田ますみさんの『でっちあげ』という本を読んで、
正直背筋が凍りました🥶
まさに「事実は小説より奇なり」です。
映画館で「でっちあげ」の予告を観た私。
最初は、フィクションだと思っていました。
でも、これは紛れもない現実だったんです。
福岡で本当に起きた、一人の教師が
「殺人教師」に仕立て上げられた事件の記録なんです。
『事実を自分の目で見て、何が大切かを考え、選択する』
この言葉が、今日のテーマの核心です。
▼私たちが無意識に作り上げる「空気」の恐ろしさ
この事件を「特殊な人たちが起こした悲劇」と片付けるのは危険です。
なぜなら、その背景には、私たち自身も無意識のうちに加担しているかもしれない、
社会の歪んだ「空気」があるからです。
組織の平穏を個人の人権より優先する「事なかれ主義」。
これって、学校だけの話じゃないですよね?
あなたの職場や日常でも、
同じような空気を感じたことはありませんか?
・見て見ぬふりをする
・何か問題になるまで放置する
・とりあえず謝る
・「組織のために」と非を認めさせる
こんな経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか?
▼「推定無罪」が機能しない現実
日本の司法制度について、こんな指摘があります。
弘中惇一郎氏の「無罪請負人 刑事弁護とは何か?」にも
”出してほしければ自白をしろ、保釈になりたければ争うのをやめてすべて認めろ”
という言葉が書かれています。
ゾッとしませんか?
「裁判で有罪が確定するまでは無罪である」
いわゆる推定無罪が近代司法の大原則なのですが、
もうなんか、逮捕された時点で有罪確定みたいな感じがありますよね!
ホリエモンやゴーン氏が訴えた「人質司法」
家族とも会えないなんてどうかしているし、
「認めれば出してやる」みたいなこともありますよね?🤔
私たちは、この現実をどう受け止めるべきなのか?
▼メディアとSNSが作り出す「デジタル・タトゥー」
メディアの問題についても考えてみましょう。
皆さんは、メディアが扱うニュースなどをそのまま受け取ったりしていないでしょうか?
私もかつてはそうでした。
だけど、メディアが扱う「分野」はフラットだけど、
中身は公平ではありません。
これはテレビもネットも、すべてのメディアに当てはまることです。
警察発表を鵜呑みにし、一人の人間を社会的に抹殺するまで追い詰める。
そして、その情報を瞬時に拡散し、
永遠に消えない「デジタル・タトゥー」として刻み込む。
一度貼られたレッテルは、たとえ
☑️ 裁判で無罪が証明されても
☑️ 不起訴になったとしても
決して消えることはありません。
この”報じっぱなし”の無責任さもありますよね?
👨「そう言えば、あの話どうなったんだろう?
あのとき、あんなにメディアを騒がしたのに…」
ってことありますよね?
今回の「でっちあげ」の元となった事件も
まさにそんな感じだったようです!
▼偏見は簡単には変えられない
実は、偏見について、こんな研究結果があります。
“偏見は幼い時期に経験される情動学習の一種で、大人になって偏見を持つことが間違っていると感じるようになっても、そういう反応を完全に消し去ることは難しい”
つまり、私たちは完璧な人間ではない。
無意識の偏見を持っているのが普通なんです。
でも、だからこそ。
だからこそ、意識的に気をつけなければならないんです。
つまり…
私達には必ず「偏り」があることを認識しておくこと。
自分が選ぶものには”偏り”がある。
それを認識しておく・肝に銘じておくことではないでしょうか?
▼では、私たちはどうすればいいのか?
答えは簡単には見つかりません。
でも、考えることを放棄してはいけないはずです。
まず、『安易に謝らない強さを持つ』こと。
「早く楽になりたい」という気持ちが、最悪の事態を招くこともあります。
もちろん、ダメなことをしたら謝らないといけないんだけど…
事実でないことに対しては、たとえ孤立しても「違う」と言い続ける。
その覚悟が、あなたを守る最後の砦になるかもしれません。
「でっちあげ」でも、早く終わらせるために
・認めてしまった
・安易に謝ってしまった
ことを後悔していました。
次に、情報の受け手としての責任を持つこと。
テレビやネットのニュースを鵜呑みにしない。
『疑うこと』
これが大切です。
一つの情報を絶対視せず、常に「本当か?」と疑う視点を持つ。
私たちが賢くなることが、メディアの暴走を止める力になるのではないでしょうか。
そして、もしもの時の選択肢を知っておくこと。
理不尽な窮地に陥った時、弁護士に相談するという当たり前の権利を知っておく。
それだけで、絶望の淵から救われることがあるかもしれません。
▼長期的な視点よりも、目の前のことを
こんな話もあります。
“長くて10年を見据えて。20〜30年なんてわからない。それを予測するのは学者。目の前のことを”どうやったら生き残れるか”を考え積み重ねていく”
社会の大きな問題を一気に解決するのは難しい。
でも、目の前のことから始めることはできます。
一つのニュースを疑ってみる。
一つの情報を複数の角度から見てみる。
一人の人間を簡単にジャッジしない。
小さなことかもしれませんが、これらの積み重ねが、社会を変える力になるはずです。
▼この社会で、「あなた」はどう生きるか
『でっちあげ』は、単なる事件ルポではありません。
それは、この社会に生きる私たち一人ひとりに、
「あなたならどうする?」と鋭く問いかける鏡です。
組織の論理、司法の歪み、メディアの暴走。
これらの巨大な構造の前では、一個人はあまりに無力に感じられます。
でも、思考を停止し、長いものに巻かれた瞬間、
私たちは被害者にも、そして無自覚な加害者にもなりうるのです。
**『人生は奪われても、人生は続く』**
わけで…
この、誰もが明日「犯人」になりうる…されうる社会
だって、急に
「この人痴漢です」
「パワハラされました」
「セクハラされました」
なんて言われる可能性もあるじゃないですか?
そんな社会で、あなたは、どう考え、どう生きますか?
そんなコトないのが一番だけど、
どうやって自分を守りますか?
防衛策をしっかりと考えておかないと、
簡単に謝ったりしたら怖いなと思いました💦
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本日のコメントテーマは
【私の素朴な疑問】
です。
皆さんが普段疑問に思っていることなどがあれば
コメント欄で教えて下さい!
今日もありがとうございました🙇♂
また明日!
お父ちゃんでした👋
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