おはようございます☀
お父ちゃんです!
いきなりですが、みなさんは最近
「ごめんなさい!」
って言いました?
あるいは、自分が決めたことを
「やっぱりこっちに変えます!」と
堂々と変更できたでしょうか。
最近じゃなくても、過去にそんな経験ありませんか?
年を重ねるにつれ、
「ごめん!間違ってた!やっぱりこっち!」
と訂正するのって難しくなると思うんです。
さらには、反発があればあるほど、
訂正したほうがいいのはわかっているのに
意固地になってしまったり…
今日は、
「現代が抱える病」と「訂正する力」
についてです。
▼「ごめん!間違ってた!」
私は中学時代、体育大会で応援団長をやっていました。
私の出身校は、この体育大会に結構熱が入っていて、
・競技
・応援合戦
・応援パネル
この3つの部門で優勝が決められます。
一年、二年、三年の一クラスずつが同じチームとなり、
この3つの冠を撮りにいきます🏆️
特に獲りたいのが、応援合戦!
応援合戦は、伝統的に体育大会の華で、
どのチームもかなり力を入れています。
応援団長をはじめとした、
応援団の生徒だけで選曲・振り付け・体形を考え、
みんなで練習し、披露します🕺
今思えば、青春ですね〜。
で、本番が迫ったある日、
「より良くしたい!」との思いから、
これまで必死に練習してきた体形(フォーメーション)を、
思いっきり変更することにしました。
その時、私はカッコ悪いけど…
👨「ごめん!今までのは無しにして、こっちのプランで行かせてくれ!!」
と頭を下げました🙇♂
世界が狭かった中学生の私には、ものすごい決断でした。
でも、今振り返ってみると、
あの時の自分をちょっと褒めてあげたいなと😊
「謝れる自分、変更できる自分、偉いな」と🤣
▼急に何の話?
😦「え?急に何の話?」
ですよね😅
決して、私の過去の話をしたいのではありません🙅
今日は「訂正」の話でしたよね!
訂正の話をするにあたって、
中学時代のそんな話を思い出しました。
私が、本番直前で変更したのは、
「改善」ではありません。
あえて言うなら「訂正」
☑️ 改善=今の状態をより良くグレードアップすること
☑️ 訂正=間違いを認めて、あるべき姿に軌道修正すること
「善くする」ことが、必ずしも「良い」とは限りません。
短期的に見た場合に改善だったとしても、
長期的に見た場合は、”善”じゃないかもしれません。
改善にしろ、訂正にしろ、
間違いを認めて、潔く方向転換する🧭
この「訂正する力」こそが、
生きていく上でめちゃくちゃ大事なのではないかな、
と最近考えております。
▼正解中毒になっていませんか?
というのも、
今の世の中、「正解」を強く求めすぎている気がします。
AIが「あなたの好きなもの」を先回りして教えてくれる。
検索すれば、一番効率の良いルートが秒で出てくる。
タイムラインも自分の好きなもので固められている。
何事も「最適化」されてしまっているんです。
「これをやったら、確実に報われるか?」
「この映画を見て、時間の無駄にならないか?」
タイパなんてまさにその典型ですが、
そんなことばかり考えがちです。
仕事において効率性を求めるのは素晴らしいことです。
だけど‼️
無駄なことから生まれることもあったりするじゃないですか?
最適化された仕事現場からは、
良いアイデアは生まれないと思います。
だって、雑談などの無駄な時間がないから…
人生って「無駄なこと」の中にこそ、
その人らしさが詰まっていると思いませんか?🤔
誰にも褒められないけど、なんとなく好きでやっちゃう趣味。
お金にならないけど、夢中になれること。
そういう「あそび」の部分にこそ、自分という人間がいるはずなんです。
こういう生産的でない時間こそ、
人生の醍醐味ではないでしょうか!
▼間違えるからこそ、強くなれる
正解ばかり求め続けるのって、かなり危険なことだと思います。
だって、人間は間違いながら
学んでいく・成長していく生き物だから。
間違える。
痛い目を見る。
「あちゃー」と思って、そこから訂正する。
この繰り返しでしか、人は成長できません。
赤ちゃんが転びながら歩き方を覚えるのと一緒です。
すべて先回りしていては、「転んだら痛い」ということが学べません。
「正解」しか知らない人は、
一度の間違いですべてを否定してしまいます。
「間違いたくない」と強く思いすぎていると、
いざ失敗した時に立ち直れません。
そうなると、
・新しいことに挑戦できなくなる
・知らないこと・やったことないことをやれなくなる
・挑戦する人を妬み、叩く
そんな人生、楽しいでしょうか?
誰だって間違います。
だって人間だもの!
猿も木から落ちます🐒
河童も川で流されることもあるし🥒
弘法にも筆の誤りがあります🎨
「間違いはあるものだ」と知ること。
そして、間違えたら素直に「ごめん!」と言って訂正すること。
これだけで、人生の風通しはずいぶん良くなります。
▼道なき道を楽しむ
常に正解を求めて、最適化された人生。
これは、山を登る「ロープウェイ」のようなもの。
無駄がなく、目的地には早く着くでしょう。
だけど、景色が大きく変わるわけでもない。
そして、もし問題が起きたら、
そこでストップしてしまいます。
一方で、「訂正する力」を持っている人生。
これは、「コンパスを持って登山する」ようなものです。
目的地(方角)だけは決まっている。
でも、道がないこともあります。
時には行き止まりで、
「こっちじゃなかった!」と引き返すことも
途中で見晴らしのいい所で休憩することも
小さな動物と出会うことも
思いがけず綺麗な花が咲いているのを見つけるかもしれません。
偶然出会った人と、仲良くなれるかもしれません。
「あ、間違えた。じゃあこっちに行こう」
そうやって柔軟に修正しながら進むことで、
結果的に周りの景色を楽しめる。
その道中そのものが、
豊かな人生になっていくんじゃないでしょうか。
▼というわけで
私も、
「無駄を省いて、タイパを意識して…」
と思っていましたが、
最近ちょっとずつ考えも変わってきていて…
子育てなんて、タイパを考えたら
めちゃくちゃ悪いじゃないですか😅
👨「早く大きくなってくれ〜」
は引き続きありますが、少しずつ減ってきたというか…🙄
「今しかない子どもたちとの時間を大事にしよう」
「今に満足できない人間は、今後も満足なんてできない」
と思うようになりました。
これも、訂正ですね😊
私はよく間違えます!
なので、これからも何度も訂正しながら、
一歩ずつ歩んでいきたいと思います👣
だって人間だもの。
今日もありがとうございました🙇♂
また明日!
お父ちゃんでした👋


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