その言ってること、あなたは出来ているか?

その言ってること、あなたは出来ているか? 経営論

おはようございます☀
お父ちゃんです!

今読んでいる「アルプス席の母」という小説が、思いのほか刺さっています。

アルプス席の母 | 小学館
まったく新しい高校野球小説が、開幕!秋山菜々子の一人息子、航太郎は野球特待生として大阪の新興校に入学。菜々子も神奈川を離れ、大阪で働くことを決意する。負けるもんか。野球部に、監督に、父母会に、怪我なんかに。母親たちの熱闘甲子園!

野球経験者として、
そして子を持つ親として、
さらには数年前まで野球チームでコーチをしていた立場として、
どの視点からも共感できる部分が多いからです。

時には、泣きそうになることも…

その中で、指導者から怪我をした選手に対して
「自己管理がなっていない」
という言葉が出てきます。

この言葉を読んだとき、ハッとししました💡

▼指導者としての自分を振り返る

私、今なら、結構自己管理は徹底しているつもりなので
今なら、他人に少しなら言えるかもしれませんが…
(それでも体調を崩すこともある)

以前の私も確かに、体調を崩したり怪我をする選手に
👨「しっかり自己管理をしろよ」
と言っていたかもしれません。

だけど、今振り返ってみると、当時の自分は果たして自己管理ができていただろうか?
他人に言えるくらいのことは出来ていただろうか…🤔

答えは「ノー」です。

当時の私は喫煙もしていたし、寝不足(ほぼ寝ずに)で練習に参加することもあったし、
自己管理なんて全然出来ていませんでした😖

完全に若さで乗り切っていました😅

▼「自己管理しろ」の残酷さ

中学生や高校生に「自己管理をしろ」と言うことの難しさを、今になって理解します。

そもそも「自己管理」って何なんでしょうか?
何が自己管理でしょうか?
「自己管理をしなさい」という人で
「自己管理」を言語化出来る人がどれくらいいるでしょうか?

明らかな骨折や関節の異常、血が出ているとかなら伝えられますが、微妙な痛みや違和感を言葉にするのは大人でも難しいものです。
特に「違和感」レベルの症状は、表現方法すらわかりません

痛みも、違和感も本人にしかわかりませんからね💦

それを伝えることの「心理的なハードル」もあります。

・みんなと一緒にプレーしたい気持ち
・休みたくない思い
・練習から離れることで置いていかれる不安
・チームメイトや指導者への気遣い

その他で言えば、認識の問題。

・「スポーツをしているんだから痛いものだよね」という思い込み
・「寝れば治る」という楽観的な判断
・体が痛みをかばおうとして、さらに悪化させる悪循環

▼自己管理とは何かを教える

「自己管理をしろ」と言う前に、まず「自己管理とは何か」を教える必要があるのかなと…
言葉の定義づけから始めなければ、子どもたちは何をどうすればいいのかわかりません。
大人(社会人)だってわかりませんよ!

具体的な自己管理の内容

・体の変化に敏感になる
・違和感や痛みを適切に表現する方法を学ぶ
・報告・相談するタイミングを知る
(心理的安全性を確保しておく)
・休養も練習の一部だと理解する

▼心理的安全性の重要性

最も大切なのは、選手が安心して「痛い」「調子が悪い」と言える環境づくりではないでしょうか?

ちなみに、私も中学の時に、この小説に出てくる野球少年と同じ怪我をしました。
約半年間、プレーが出来ませんでした。

当時のことはそれほど覚えていませんが…
やっぱり我慢していたのかな…🤔

やっぱり伝えにくいんですよね。
そして、痛さを伝えるのも難しいものです。

私は仕事柄もそうですが、大人であっても、自分の不調を伝えられない人がほとんどです。

だからこそ、子どもたちには、
・「痛かったら・おかしかったら言ってもいい」という明確なメッセージ
・「プレーできない期間があっても、君を見捨てることはない」という安心感
・指導者や親が積極的に気づこうとする姿勢
・休養を「サボり」ではなく「必要な判断」として評価する文化

が必要なのかなと。

休養の重要性は、近年、理解が少しずつ進んでいますね。

チームスポーツにおいて、個人の健康を軽視することは、結果的にチーム全体の力を削ぐことになります。
短期的な結果を求めて個人を犠牲にすれば、長期的にはチーム全体にとってもマイナスになります。

主力選手を無理して使って怪我をすれば、その後のチームに響くし、
「怪我してる選手を無理やり使う」なんて噂が広まれば、その後のチーム運営にも大きなマイナスとなります。
(そんなチームには、誰も行きたくない!)

▼人に言うことを自分ができているか

この問題は、自己管理に限った話ではありません。
指導者として、親として、上司や先輩として、
私たちは日々人に様々なことを求めています。

・「集中しろ」と言いながら、自分はスマホをいじっていないか?
・「勉強しなさい」と言いながら、自分は勉強をしているか?
・「時間を守れ」と言いながら、自分は遅刻していないか?
・「諦めるな」と言いながら、自分は簡単に投げ出していないか?

子どもたちは大人の背中を見て育つものです。
私たちが求めることを、まず自分自身が体現できているかを常に問い直す必要があります。

▼ということで

一番良い教え方は、自分がやって見せるではないでしょうか?

”学ぶ”は、真似ぶ。
真似から入るものです。

近くにいる人の真似をして、人は育っていくのではないでしょうか?
その近くにいる人が、口だけだったら、その人も口だけになりますよね😖

他人に「自己管理をしろ」と言う前に、まず自分自身の自己管理を見直す!
ただ「〇〇しなさい」というだけでなく、「私はこうしているよ」などと具体的に教え、安心して相談できる環境を作ることが大切です。

そして何より
その言ってること、自分自身は出来ているか?
という問いを、常に自分自身に向け続けることが重要なのだと、
この小説を通じて改めて学んでいます。

指導者も親も完璧である必要はありませんし、完璧な人など存在しません。
だけど、自分自身を振り返り、学び続ける姿勢は必要不可欠です。

子どもたちに求めることを、まず自分自身が実践しようとする。
その姿勢こそが、真の教育なのかもしれません。

皆さんは、人に言っていること、自分自身が出来ていますか?
心に手を当てて考えてみてください。

今日もありがとうございました🙇‍♂
また明日!
お父ちゃんでした👋 

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